劉暁波氏「初七日」で友人らの行動制限して中共が警戒www
ちなみにもっとも声を上げないといけないのは本来は各国のペンクラブだと思うのだけどね。
日本のペンクラブは赤軍やオウムのころからテロの支援に夢中のようだけどさ。
あとNHK!
お前らは組織ぐるみで天安門事件の殺人を無かったことにしてるよな?
俺は絶対に受信料金を払わないからな!
時事ドットコムによると、劉暁波氏「初七日」にあたる19日、中国当局は友人らの行動を制限し
追悼する動きが広がらないように警戒を強めたという。
中国政府は「旅行」と称し、友人の行動を制限したという。
作家の呉楊偉氏は、
「警察が今、私を旅行に連れ出そうとしている。携帯電話は1日電源を切る」
とツイッターに投稿していた。
詳細と続きは時事ドットコムで。
NewsWeekによると、遠藤誉氏が紹介した情報として、劉暁波氏の葬儀の際に「友人」として
出席した人は「私服警官」だったという。本当の友人は葬儀への列席を希望しても当局に拒絶
されたという。
詳細と続きはNewsWeekで。
>劉暁波氏「初七日」で警戒=友人らの行動制限-中国
(2017/07/19-19:10)時事ドットコム【北京時事】
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017071901019&g=int
>米議会で証言した劉暁波支援団体から衝撃の事実と悲痛な訴え
2017年7月18日(火)06時00分 Newsweek
遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7991.php
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7991_2.php
日本のペンクラブは赤軍やオウムのころからテロの支援に夢中のようだけどさ
チアンイジホウガーとか抜かしてた朝日なんてこれを例に引けばいいのに絶対しないのはなぜだろう?
全くだ。
普段は日本国内で政治批判とか人権差別非難とかしている連中は何故だんまりを決め込んでるんだろうか?????
野間・リカ・よしのり・茂木!!!!
お前らのことだよ!!!!!!!!!!!!!
お前らは組織ぐるみで天安門事件の殺人を無かったことにしてるよな?
俺は絶対に受信料金を払わないからな!
自分が言い返せなくなると「沈黙のみが最高の軽蔑だ」と言って逃亡。
こういった発言から導き出される有田芳生とは何か?
悪意が無くて2つの発言を矛盾を感じず言ってるなら
「二重人格症」。
矛盾を感じながらもとりあえず別人に使い分けて済ませているなら
「悪人」。
・・・つまり、病人か悪人のどちらかだ。
どちらでもないは絶対にない!
有田芳生が「病人」であれ「悪人」であれ
どちらかであることは確かで、
どちらも国益を著しく損ずる。
確実に言えることは有田芳生は議員のままでいさせては
ならないという一般の健常者なら誰もが判りやすいこと。
「病気の悪人」って説もある
マイナスにマイナスを「掛ける」んじゃなくて「足す」感じ
なんという低水準な青春だ。
それで65歳にもなって恥ずかしい17歳のころの青臭い独善を何か
まるで立派なことでもしていたかのように自慢げに披露か。
そんな“リッパな”日本共産党を除名になった落伍者なんだろ?
低水準な芳生クン(*´∀`)♪
何より解放同盟とか他の左翼の部落解放運動など
革命の兵力にするためのある種の人々への差別の存在恒久化という成果しかない。
有田芳生や彼が関わってきた余計な運動がなかったらとっくにのびのびと幸福になれていたのに
いつまでも左翼のタタカイとやらに巻き込まされて窮屈な人生を強いられてきた。
橋下徹も激怒するのも無理はない。
唯物弁証法の害が形になった典型的な例として判りやすい。
テーゼとアンチテーゼの対立を残したままでのジンテーゼ。
ジンテーゼはテーゼとアンチテーゼの対立を何も解消せず、
独善の三巴で永久に平和もなく不毛な流血が続き地獄の世。
東洋では「空(くう)」「仮(け)」「中(ちゅう)」を、
一心三観で身につける修行がすでに千年以上も前から工夫。
唯物弁証法が持つ心理的な病害にとっくに気付き対処した。
悲鳴と血にまみれた共産主義など革新でも科学的でもない。
レーニンが大量殺人教唆の残虐な殺人鬼であったことを明らかにした。
120人の協力者で仕事をはじめたチェカーは、1年後には職員3万人以上となった。
トロツキーは、生まれたばかりの彼の軍隊に、敵とみなされた者を情け容赦なく鎮圧し、
見せしめの死刑をどしどし執行せよとの指示を与えた。
至るところで、良心のためらいもなく銃殺が行われた。
戦闘で捕らえられた白衛軍兵士や農民ばかりか、
自軍の兵士や将校も厳しい鎮圧を遂行する力に欠けたときには銃殺された。
軍は、さらに兵員を増強した。
早くも1918年秋には、100万の兵力を擁していた。
1918年末、レーニンは反抗する農民たちに対してテロル的措置を命令した。
レーニンは、きわめて早くから、迅速な解決の方を好む意向を表明していた。
ロマノフ家の人間を一人残らず、つまり優に100人あまりを皆殺しにする。
この提案が1918年7月16日の夜に実行された。
ニコライ2世だけでなく、皇帝一家の幼い子どもたちまで殺された。
レーニンの殺害せよ、銃殺せよ、流刑にせよという指示の大部分は常に隠密裡に出されている。
引用元:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1500461801/
キタコレ(゚∀゚)!! |
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